久々にブログを書きます。
毎年、春から初夏にかけて3つの講座で三会場、合計9講座のワークショップを開いています。
今日その最終日で締太鼓の講座が終わり、ほっと一息、というところです。
その後、夕方から地元小牧の夏祭りで山車(だし)の上に乗って演奏でお手伝いをさせていただきました。
今日は良くも悪くもいろんな意味で改めて再確認や気付き、確信を得られるような学びの日でした。
さて、タイトルに「良い演奏、良くない演奏」と書きました。
皆さんはどう思いますか?
一生懸命演奏して、ミスが多かったときの感想やアンケートに「とてもよかった!」が多かったり、
今日はしっかりやれたぞ!と思っていても逆に辛口のご意見をいただいたりすることもあります。
太鼓に限らず音楽には楽譜を中心に与えられた約束事があり、それをきっちりこなせるかどうかが出来不出来を大きく左右することは事実です。
太鼓を演奏する人はみな、まず「間違えずにできたか」を終わった後に反省することが多いですよね。
ではお客様はどのように見ているか、です。
実際にはひとつふたつの間違いには気付かないか、または気にしないのがほとんどです。
お客様がよい!と感じるにはいくつか段階があると思うのですが、
・涙が出るくらい伝わった!
・感動して興奮した!
・とても楽しかったです
・がんばってる姿がよかったです
・好感持てます
・キライじゃないです
と、段階が下がっていきます。
ここに、間違えたかどうかは深く関わっていないことが多いのです。
すごく上手できれいに手が動いていて、でも胸にこない演奏。
たくさん間違えてバチも落としたけど、心に響く姿と表情。
太鼓の演奏を数多く見てこられた方なら、このように感じた経験がおありではないでしょうか。
私の考えるよい演奏というのは、上手下手ではなく、
ズバリ
「誰かのために!という意図がこもっているかどうか」
です。
誰かとは、お客様であり仲間であり自分自身であり、
伝統のおまつり曲なら地元の方々であり、
オリジナルの創作曲なら作曲した方も含みます。
自分も仲間もお客様も喜んだけど、作曲者やお祭の本場に生きる人からすると疑問視される演奏。
これは一見よさそうですが、その実は薄いと言えます。
お祭の心意気が大切にされていて、作曲者の意図もしっかり汲み上げられた・・・けど、
おおあわてでバタバタ、あせってしまった演奏。これも残念な結果であるでしょう。
どのように曲の意図やコンセプトをしっかりとらえるか、
曲に取り組むときに自分の打つリズムや表情、姿が仲間とお客様にとって喜びになるものであるかどうか、
そしてそのことを自分自身の感動と幸せに感じることができるか。
この3つの要素がしっかり達成されている演奏ができたなら、間違えたかどうかなどどのような意味を持つのでしょうか。
逆に言うと、この要素がまったくない演奏であったのならば、基礎に忠実に間違えずに打ったとしても、
それは伝わらないことが多いのではないでしょうか。
この投稿の副題にあげた、「囃し方の心」。
締太鼓の講座のときも数度に渡って説明した部分です。
自分の出すリズム、姿、掛け声、その全てが「誰かの気持ちを持ち上げるものであってほしい」と強く願い、
そのために必要な技術を気持ちの続く限り集中して出し続ける。
自分が気持ちいいかどうか、達成感が得られるくらい汗を流したかどうかではなく、
仲間に喜んでもらえる音が出せたか、仲間とそれを共有している空間をお客様に感じていただけたか、
舞台に上がる全てのメンバーがそこに集中できたとき、きっといい演奏が生み出されるのではないでしょうか。
本当にいい演奏がしたいのなら、
難しいから
今まではこうしてきたから
こっちのほうが楽だから
みんなに言ってもわかってもらえないから
なんか早くなっちゃったから
などと言っているヒマはないはず・・・です。
自分自身の演奏がどうであるか、はもちろん大丈夫!といいたいですが
常にきちんと心がけているときしか、人間そんな思いでい続けるのは難しいです。
今日も明日も、私は「誰かの喜びのためにこその音」を願い出し続けていたいです。
それこそが人の心を持ち上げる「囃し方の心」だと信じています。